日進野菜塾は当初は「農家のおばあちゃんに学ぶ野菜づくり教室」という半年限定の事業としてスタートしました。 (2005年当時、愛知県から「団塊世代対象の事業」としてをうけ、始まったのです。) 当時は小さな畑で、10名に満たないメンバーで、半年間のつもりです。 地元の女性農家グループにクワの使い方からはじまって、農地の場所提供、その時々におこなうべきことなど、 何から何までお世話になりました。(今も有形無形の支援をいただいています。)
私たちにとってのエポック(節目)となったことをあげると、次のように時期区分できます。
少人数で100坪あまりの畑で。週1回の日曜野菜教室。いつも牧歌的な楽しさあふれる。 何も知らす指導農家におんぶ。
和気あいあいの「同行会」のような初期のころ。
田んぼで米づくりをやらないか」と農業委員さんから誘われる。 考えたこともなかったコメ作り。 この時に初めて「耕作していない」田んぼがいかに多いかを知る。 またコメ作りはほとんど機械化され、人の手が介在しなくなっていることもわかる。 一年目は横で作業を見ているだけであったが、2年目から「はざかけ」をするようになる。 ハザかけ米のうまさを心底味わう。最初のときに大きな台風が来て、 ハザが全壊という(悲痛な)経験も。 その後、ハザかけ、さらに無農薬、無化学肥料、苗代づくり・・・ と有機栽培の方法を実験的に追求。
田んぼは米だけでなく、多くの生きものが生まれ育つ場であることを体験から知った時期。 このころから子どもを対象にした「田んぼの生きもの教室」にとりくむようになる。 田んぼの生きもの研究の専門家、関東の先駆団体の指導も受け、 「田んぼビオトープ」も設置し、「田んぼ」、「川」、「ビオトープ」、 これら3ケ所をフィールドにして生きもの調べを毎年実施するようになる。
平成24年から日進市で「農地バンク」もはじまり、畑、田んぼの「利用権」設定が日進野菜塾も できるようになった。利用農地も拡大し、1.5haほどに広がる。うち半分は田んぼ。 農地の有効利用、効率的な活用、これらのための生産技術、管理技術を磨く必要も痛感される時期になった。 とくに草刈りはたいへんだ。
多くの都市住民が体験に参加するようになる。 農水省の「教育ファーム」「食育事業」が各地で広がる。 単なる収穫体験、レジャー体験に終わらない、都市生活者に「有意義な体験とは何か」、 プログラム化することに力を入れ、多様なコースを開発し実地展開するようになった。
都市に住む個人だけでなく、企業や大学、他のNPO団体などとの共同とりくみ、 協働活動が少しづつ増えてきました。 こういう連携は、NPOとしての特長、良さが大きく発揮できる分野であり、 今後も多様な取組みにチャレンジし、共感する組織を増やしたい。
以上のさまざまな経験をとおして、都市型農業の柱づくりをすすめ、助成金に依存しすぎることなく、 自立した事業を確立し、
魅力ある活動をすすめていきたい。 それが今後の大きな課題になります。
これまで活動がつづいてきた理由は、ふりかえると次のようなことがあったからと思います。
■何の縁もなかった私たちに、手をさしのべてくれたグループのみなさんの存在が、大きかった。
当時すでに数十年も地元の朝市をささえ、勉強熱心な姿は学ぶものが多いと思ったこと。
■しろうと市民からみると、自然、作物、風景、農家など、(トカイにない)未知の、魅力に富んださまざま存在を知ったこと。
■さらにいろいろ、誘っていただいた人たちがいたこと。
田んぼが遊んでいることを憂いていた当時の農業委員のおじさん、耕作放棄状態で困っている地主の知り合いさんなど。 「ワシが田んぼを教えてやるから」とか、「地主さんに言ってあげるから」とかそういう方々のご好意に背中を押されたこと。
■そして何よりも、当時少数のメンバーであったが、何よりも続けたいと願ったことです。
農業経験、栽培経験が皆無だった分、魅力の深さにハマったのです。
■その後、民間あるいは公的な機関からさまざまな助成、支援をいただく機会に恵まれました。
愛知県、農水省、日進市、なごや環境大学(共育講座)、地球環境基金、福祉医療機構、 モリコロ基金、企業ではパナソニック、デンソー、ハウス食品グループ本社さんなど、 また大学では愛知県立大学、名市大の「学生さんの体験プログラム」について先生方と協働で実施させていただいてきました。