名古屋近郊の市民農園で有機野菜づくりー日進野菜塾

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名古屋近郊の市民農園で有機野菜づくり 日進野菜塾の想い

日進野菜塾は、会員組織で運営を進めており、10名余の中心メンバーが相談しながら活動を進めてきました。
そうして10年間の活動をつうじ、ベースとなる活動価値観のようなものも(暗黙のうちに?)つくられつつあるように思います。
言葉にしにくいものもありますが、たとえば以下のような考え方は、メンバーに共通した想いとなっています。

農と自然の恵み、地域の財産を次世代にも伝え残す

都会生活しか知らない子ども、大人が増えています。
農と自然が満ちた世界は都会暮らしでは得られない楽しいものがあります。
農業や野菜づくりをめざさなくても、いろいろな発見と驚きがあります。
これらは人が手を加えつづけないといずれ絶えていく、そういう運命にあります。
そのため、農にはまったく無縁であった都市住民に農への関心を深め、
参加の機会・場をつくる。そういう取組みを持続したい。

耕作されない農地が活用される社会に

畑、田んぼは言うまでもなく、耕作されないと荒れいきます。
雑草地になったり、竹が折り重なった竹やぶになったり、生きもがいない、
人も寄りつけない場になる。それが自然な理(ことわり)なのです。
多くの農家も、高齢化、後継者不在が顕著で、耕作者がいなくなっています。
他方で都市には農に関わりたいと思う人たちが急速に増えています。
そう思っていなくても都市の生活にはない魅力を感じる人が(潜在的にも)
たくさんいるように思えます。
耕作されない空いた農地を、やりたい人につなぐ、そういう仕組み、
技術の伝承をおたがい考え、取組みたいものです。

消費だけする人から生産にもかかわる生活者へ

戦後の市場経済をつうじて、都市住民はいつのまにか「消費者」という
レッテルを自他ともに認め、他人がつくったものを「買うだけの暮らし」を
つづけてきました。
消費者はお金を持っているから消費できるのであり、
○○ショックのような不況や大きな災害がつづくとモノも買えなくなる。
「お金がなくなった」「買えなくなった」消費者は社会から相手にされない。
それが今日の社会のシステムです。 自営のためにも、無力な立場に甘んじず、
自らも(少しは)生産がわかる、つまり野菜、米がつくれる。
そういう技術、技能を身につけることが重要ではないでしょうか。
手元に何もなくても、数粒のタネさえあれば、時間はかかりますが、
やがて実をつけます。 消費者、生産者という枠は戦後できたものであって、
昔の日本人はつくる力、栽培する経験をみな持っていたというのは、
決して言い過ぎではないように思われます。

規格外の野菜も生かす価値観

野菜づくりをするとよくわかるのですが、曲がったキュウリ、少し割れたトマト、枝にこすれて表面がキズついたナスなど、たくさん出ます。
自分が育てていればまったく気にすることなく食べるでしょう。
しかしこれらはスーパーの野菜売場に並びません。
最近の直売所といわれるところも、こういう野菜は「不良品」扱いして販売できないところも出ています。
つまり大手の流通バイヤーの選択基準が、並ぶ野菜を決める。
「きれいなこと」「まっすぐなこと」「あまり大きくなく適度に小さ目であること」、そしてなによりも「安いこと」であるようです。
その結果、「ならんでいる野菜以上に並ばない野菜」があり、
それらハネられた野菜は二束三文、あるいは場合によって、
とれすぎたキャベツのようにトラクターで「廃棄」される。
「無農薬・無化学肥料」というだけでなく、このような規格外野菜も生かす。買い手、作り手ともにそういう目を持ちたいところです。

エコな暮らし、農あるくらしと共感のコミュニティをつくる

都会生活しか知らない子ども、大人が増えています。
農と自然が満ちた世界は都会暮らしでは得られない楽しいものがあります。
農業や野菜づくりをめざさなくても、いろいろな発見と驚きがあります。
これらは人が手を加えつづけないといずれ絶えていく、そういう運命にあります。
そのため、農にはまったく無縁であった都市住民に農への関心を深め、
参加の機会・場をつくる。そういう取組みを持続したい。